備中高松城址公園 | 名物は水攻めまんじゅう!秀吉も苦戦した最硬の城跡【岡山市北区】

備中高松城址 お出かけ
備中高松城址

岡山市北区高松にある「備中高松城公園(びっちゅうたかまつじょうしこうえん)」は、足守川左岸に広がる平野部に立地する「水攻め」で有名な備中高松城の戦いの舞台となった城跡にできた公園です。
1982年に岡山市が城址を歴史公園として整備しました。

備中高松城址の風景

現在、城跡の中心部は高松城址公園として整備されおり、住宅や田畑が広がる閑静な場所になっていますが、ここはかつて天正10(1582)年に織田信長から中国計略の命を受けた羽柴秀吉と毛利家が激しく攻防した戦場となったところでした。

備中高松城址の石碑

備中高松城は、かつて毛利家の領有する非常に堅固な城で、織田信長が西に勢力を伸ばす際にも高い壁として立ちはだかりました。その理由は、周りに深い堀と沼に囲まれていたからです。

備中高松城の戦いの「水攻め」は歴史の中でもかなり有名な逸話として今も残っています。

備中高松城址の首塚

備中高松城址のすぐ横にある和菓子屋「清鏡庵(店名は宗治の戒名)」の水攻饅頭(みずぜめまんじゅう)も有名です。名前が変わっていますが、味もとても美味しいのです。

公園内には無料の駐車場があり、御城印は公園の高松城址公園資料館でいただけます。

高松城址公園資料館

高松城址公園資料館

最上稲荷の大鳥居を目印にして備中高松城跡公園へ訪れるルートがおすすめです。
公園内には無料で入館できる高松城址公園資料館や、清水宗治公の首塚や胴塚もあります。ボランティアの方々が丁寧に説明してくれます。

宗治蓮の看板

「水攻め」で有名な備中高松城の戦い

秀吉に自刃させられた清水宗治の首塚

備中高松城を陥落させよ、という命を受けた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、この堅固な城の攻略に苦戦しました。
当時の備中高松城主「清水宗治(しみずむねはる)」は籠城が得意な武将であったことも苦戦の要因でした。

清水宗治はこんな辞世を詠んでいます。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士〈もののふ〉の 名を高松の苔に残して」

高松城の戦いは、天下統一に向けて急展開を迎える激動の時代の中、激しい攻防となりました。

苦戦していた羽柴秀吉は、家臣の黒田官兵衛から「水攻め」の進言を受けます。
これによって兵糧が切れてしまった備中高松城は落城してしまい、城主の清水宗治は自刃しました。

1982年に歴史公園として整備する際、沼を復元する際地中に埋まっていた400年前の蓮の種は、かつての城主・清水宗治の名前から「宗治蓮」と名付けられました。

宗治蓮

備中高松城址で名物となっている水攻饅頭とは?

備中高松城址のすぐ隣に「清鏡庵(店名は城主・清水宗治の戒名)」という老舗の和菓子屋があります。

この和菓子屋さんは全国的にも有名で、その理由は、水攻饅頭(みずぜめまんじゅう)という美味しい饅頭を販売しているからなのです!

物騒な名前の水攻めまんじゅうですが、味はとても美味しく、そのギャップがいいのです。
宗治饅頭(むねはるまんじゅう)、スマッグというメロンソーダも美味しいそうですよ。

備中高松城址3

是非、備中高松城址に行く際には購入されてみてはいかがでしょうか。
水攻めを受けた城主・清水宗治の気持ちに思いを馳せつつ頂きましょう。

備中高松城址2

備中高松城址の様子・口コミ

秀吉がどのようにして水攻めを実行したのか、現地に行かないと分からないことがあるということがわかりました。
秀吉は城兵の防御が固く、通常の水攻めは難しいと思われる平野地での戦いでした。この地域はかつて湿地帯であった可能性もありますが、現在では平野として知られています。
足守川という近くを流れる川を堰き止め、わずか12日間で高さ8メートルの堰を完成させたと言われています。また、梅雨時期であったこともあり、水攻めは成功したのです。考えてみれば、現代でも梅雨や長雨の時に河川が氾濫することは珍しくありません。

現在、備中高松城は廃城となり、公園となっています。城の遺構は存在しませんが、近くには胴塚や首塚があります。公園内には宗治蓮がありますが、これは当時のものではなく、戦後に整備されたもので、少し整いすぎているかもしれません。
水攻めの際には南側に築堤し、川の水を引き込むなどの工夫がされましたが、遺構がないため、わかりにくい部分もあります。ただ、大鳥居の近くには堤跡が残っているので、立ち寄ってみる価値はあると思います。
高松城は続日本100名城に選定されています。 高松城址公園資料館にはスタンプが設置されています。 この城は秀吉による水攻めで有名です。 広い敷地は美しく整備されており、近隣の道路は狭いため、グーグルナビの案内に従うと軽自動車くらいしか通れないような道を案内されました。笑 無料の駐車場は2か所あります。

最上稲荷さんの大鳥居を目印にして備中高松城跡公園へ訪れるのがおすすめです。ここは水攻めで有名な備中高松城の跡地で、現在整備されています。公園内には無料で入館できる資料館や、清水宗治公の首塚や胴塚もあります。ボランティアの方々が丁寧に説明してくれます。
公園内を散策すると、低湿地であることがよくわかり、当時の思い出をよみがえらせる宗治蓮が蓮池に咲き誇っています。この戦の中で本能寺の変が起き、秀吉公は中国大返しを経験し、一躍天下人となりました。主君を失い嘆き悲しむ秀吉公に、黒田官兵衛公は「御武運が開けましたな」と呟きました。黒田官兵衛公はその才能と冷静さで秀吉公に恐れられ、最終的には中津に領地を替えることとなりました。
石田三成公は中国大返しの兵馬や食糧の段取りを担当し、秀吉公の腹心となりました。領地を失いながらも元就公の遺言「上方を望むな」を守り、毛利家は秀吉軍に対して旗指物まで貸しました。毛利家は後の豊臣政権の重鎮となり、最終的には五大老の地位にまで上り詰めました。
私個人的には、この戦いは関わった人々の歴史上の大きな転機だったと強く感じています。ぜひ、周辺の太閤岩や蛙ヶ鼻堤防跡、清水宗治公の自刃の地である妙玄寺なども訪れ、より深く探求してみてください。公園内には無料の駐車場があり、御城印は公園の高松城址公園資料館でいただけます。

岡山には歴史ある史跡があります。羽柴秀吉がこの地を訪れ、備中高松城を水攻めで包囲したことは有名です!秀吉はここから本能寺の変で織田信長が亡くなったことを知り、毛利家と和睦し、城主清水宗治の切腹を見届けた後、中国大返しを行い姫路まで戻りました。
現在は城址の名残が残りつつも、夏には美しい睡蓮が一面に咲き誇る、憩いの場となっています。最上稲荷とも近く、立ち寄る価値のある場所です。

備中高松城址の詳細情報

施設詳細情報
施設名 備中高松城址(読み方:びっちゅうたかまつじょうし)
所在地 〒701-1335 岡山県岡山市北区高松558−2
交通アクセス JR桃太郎線「備中高松駅」下車徒歩10分
駐車場 あり(約30台)
利用料金 見学自由
問合せ先 086-287-5554
公式サイト https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/628728.html
備考

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