岡山市東区乙子、県南東部に位置する「乙子城(おとごじょう)」は天文十三年(1544)に築城された、吉井川河口にある標高40メートル程の丘陵にある城跡です。別名は音湖城。
ここは宇喜多直家が元服し、岡山を築く始まりとなった地です。
宇喜多直家がはじめて一城の主となった備前乙子城は、当時海に面した海賊城でした。
当時、児島は瀬戸内海に浮かぶ島でした。児島と岡山平野の間には、吉備穴海といわれる内海があり、九州と畿内を結ぶ重要な航路で、源平の争乱の舞台にもなりました。
乙子城は、この内海の東の入り口を押さえる拠点に位置する場所に築城されていました。
城が構えられていた時代は、丘陵は河口に突き出していて、その丘陵に連郭式の曲輪が構えられていました。
乙子城は備前国の東半を支配していた、浦上宗景に仕えていた宇喜多直家が、天文十三年(1544)に宗景の命によって築き、その後、直家が新庄山城に移転すると、舎弟の浮田忠家が城主となりました。
乙子城のおすすめポイント
- 今はもう当時の城は残っていませんが、この地で起きた出来事を知ることのできる、歴史スポットです。
- 軽装で行くことができます。階段を登ったりするので、軽い運動になります。
- 乙子城の頂上からの見晴らしはとても良いですし、吉井川沿いを歩きながら乙子城を眺めるのも風情があります。
乙子城の様子・口コミ
#麒麟が来る
宇喜多直家がはじめて一城の主となった備前乙子城、当時は海に面した海賊城であった🎵 pic.twitter.com/WuOkVwYmrK— 田口義之 (@TGUycWaccHItRc9) July 23, 2020
表記番地前の登り口付近は宅地で道が狭く、駐車場は近くにありません。
二の丸跡は乙子大明神の敷地となっており、腰曲輪は墓地になっています。
乙子大明神の鳥居をくぐり参道を登り、墓地を過ぎると、標高約40mの山頂に本丸跡があります。
この地に城が構えられていた当時は、丘陵は河口に突き出していて連郭式に曲輪が構えられていました。
ー休日の晴天のー
岡山県東区の「乙子城」にも行きました🏯
ここは宇喜多直家が元服して、国取りの始まりの地です。
ここから飛躍して岡山を築いて行きます。 pic.twitter.com/BlhemkKjfs— 石田治部ナオヤ (@naoya19852242) January 10, 2021
歩いてすぐに大国主の奉ったお堂と鳥居があり、親切に乙子山城跡の看板が出てきますが、何回も出てくるのでそこからは迷うことなく山頂にいけます。
山は少し急ですが、10分もかからず登頂できます。頂上には案内板があります。
頂上への別の道もあり、周辺は墓地が数か所に分かれて点在しています。
乙子城(おとご)🏯に行ったよ‼️
案内板には「こっちの鳥居から登ると落ち葉が滑って危ないから、あっちの鳥居から登ってね」とあったが、落ち葉なんて全然なくて快適に登城できました。😄地元の方に感謝ですね。#乙子城#岡山県岡山市 pic.twitter.com/Rb49Dd6KN0— yanyan (@yanyan5050s) January 13, 2023
乙子城の詳細情報
施設名 | 乙子城(読み方:おとごじょう) |
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所在地 | 〒704-8137 岡山県岡山市東区乙子289 |
交通アクセス | JR西大寺から牛窓行きバス約15分、「神崎」下車、徒歩約15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 24時間 |
休業日 | なし |
利用料金 | 無料 |
問合せ先 | |
公式サイト | 乙子城 – Wikipedia |
備考 |
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岡山市には「乙子城」の他にも見どころが沢山あります。是非足を運んでみてくださいね。
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