乙子城跡|戦国時代の武将・宇喜多直家出世の城【岡山市東区】

乙子城 城・史跡・遺跡
乙子城
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岡山市東区乙子、県南東部に位置する「乙子城(おとごじょう)」は天文十三年(1544)に築城された、吉井川河口にある標高40メートル程の丘陵にある城跡です。別名は音湖城。
ここは宇喜多直家が元服し、岡山を築く始まりとなった地です。
宇喜多直家がはじめて一城の主となった備前乙子城は、当時海に面した海賊城でした。

当時、児島は瀬戸内海に浮かぶ島でした。児島と岡山平野の間には、吉備穴海といわれる内海があり、九州と畿内を結ぶ重要な航路で、源平の争乱の舞台にもなりました。
乙子城は、この内海の東の入り口を押さえる拠点に位置する場所に築城されていました。

乙子城の山

城が構えられていた時代は、丘陵は河口に突き出していて、その丘陵に連郭式の曲輪が構えられていました。

乙子城の説明

乙子城は備前国の東半を支配していた、浦上宗景に仕えていた宇喜多直家が、天文十三年(1544)に宗景の命によって築き、その後、直家が新庄山城に移転すると、舎弟の浮田忠家が城主となりました。

乙子城のおすすめポイント

  • 今はもう当時の城は残っていませんが、この地で起きた出来事を知ることのできる、歴史スポットです。
    乙子城の地図
  • 軽装で行くことができます。階段を登ったりするので、軽い運動になります。
    乙子城の鳥居
  • 乙子城の頂上からの見晴らしはとても良いですし、吉井川沿いを歩きながら乙子城を眺めるのも風情があります。
    乙子城の頂上

乙子城の様子・口コミ

乙子城の階段

千町川の橋を渡り吉井川との間の標高40m程度の丘陵に位置しています。
表記番地前の登り口付近は宅地で道が狭く、駐車場は近くにありません。
二の丸跡は乙子大明神の敷地となっており、腰曲輪は墓地になっています。
乙子大明神の鳥居をくぐり参道を登り、墓地を過ぎると、標高約40mの山頂に本丸跡があります。
この地に城が構えられていた当時は、丘陵は河口に突き出していて連郭式に曲輪が構えられていました。

 

乙子山に作った宇喜多直家最初の居城とのことです。
歩いてすぐに大国主の奉ったお堂と鳥居があり、親切に乙子山城跡の看板が出てきますが、何回も出てくるのでそこからは迷うことなく山頂にいけます。
山は少し急ですが、10分もかからず登頂できます。頂上には案内板があります。
頂上への別の道もあり、周辺は墓地が数か所に分かれて点在しています。

乙子城の詳細情報

施設詳細情報
施設名 乙子城(読み方:おとごじょう)
所在地 〒704-8137 岡山県岡山市東区乙子289
交通アクセス JR西大寺から牛窓行きバス約15分、「神崎」下車、徒歩約15分
駐車場 なし
営業時間 24時間
休業日 なし
利用料金 無料
問合せ先
公式サイト 乙子城 – Wikipedia
備考

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