植月の角土俵|国内に現存し使用されている唯一の角土俵【岡山県勝央町】

植月の角土俵 伝統行事
植月の角土俵
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岡山県北の勝央町にある「植月の角土俵(うえつきのかくどひょう)」は、毎年、勝央北小学校のすもう大会が行われる会場です。ここの土俵は四角いため、角土俵と呼ばれています。

「角力」と書いて「すもう」と読み、毎年隣接する勝央北小学校の生徒たちをはじめ、勝央町、植月、吉野、古吉野地区により、角力大会が奉納され地域一帯で盛り上げておられます。

日本相撲協会によると四角い土俵は江戸時代までは各地にありましたが、今は全国でここだけとなっており、相撲と勝央町の歴史を物語る地域の伝統的な文化のひとつとなっています。

近年でもゲストに佐渡ヶ嶽部屋力士(琴欧州、琴国、琴恵光、琴欣旺)が来られています。

植月の角土俵のおすすめポイント

  • 国内に現存し、使用されている唯一の角土俵!とても貴重なものなのです。
  • 毎年開かれる地域一帯が大盛り上がりの「すもう大会」は地元の人の交流の場ともなっています。
  • 約500年続く歴史ある角土俵です。

植月の角土俵の歴史

勝央北小学校にある角土俵は、おおよそ500年前の1512年(永正9年)に、日吉神社(日吉山王宮)が現在の場所に移された際、一族の士気を上げるために作られたとされています。

それ以降、現在に至るまでその形が受け継がれており、貴重な文化財となっています。今日、相撲は「すもう」と表記されますが、植月地区では「角力」と書かれ、四角い土俵で行われていたと言われています。

もともと相撲は、四角い土俵で行われていました。
日本相撲協会によれば、角土俵は江戸時代の中頃まで、各地で丸い土俵と併用されていたようです。京都の四条河原には、4本の角柱に紐を張り、土俵にした絵が残っています。

その後、丸い土俵に統一され、植月地区の角土俵(4メートル四方)は全国で唯一現存する珍しいものとなっています。数年前に岩手県立博物館で四角い土俵が再現されましたが、現在は撤去されているとのことです。

かつてこの場所では、日吉神社の大祭に際して、盛大な相撲が行われていました。宮角力や奉納相撲として広く知られ、遠方からも力士が集まっていました。文化年間(1804~1817)の著書「白玉拾」には美作の大祭として、津山祭、本山天王神事、山形の神輿、そしてこの宮相撲が記されています。また、明治25年に発行された「植月村誌」には、「新野祭、広戸大風、植月相撲の三者に出会わなければ、死んでも魔王の庁を通らない」ということわざが掲載され、江戸時代から明治時代にかけての盛況が伝えられています。

戦時中には、時代の影響を受けて奉納相撲が中断され、戦後も再開されませんでした。しかし、1967年(昭和42年)に「植月の角土俵保存会」が結成され、土俵の復元とともに、秋祭り(10月27日)に植月小学校の児童による奉納相撲が再開されました。

2008年(平成20年)には、植月小学校、吉野小学校、古吉野小学校の3校が統合して勝央北小学校となりましたが、角土俵での角力大会は続けられています。体育の授業で地元の講師から指導を受け、練習を重ねて角力大会が開かれています。

植月の角土俵の様子・口コミ

植月の角土俵の詳細情報

施設詳細情報
施設名 植月の角土俵(読み方:うえつきのかくどひょう)
所在地 〒709-4335 岡山県勝田郡勝央町植月中
交通アクセス 中国自動車道津山ICから約20分または美作ICから約15分
JR勝間田駅から車(タクシー)で約15分
駐車場
営業時間
休業日
利用料金
問合せ先 0868-38-1753(勝央町教育委員会)
公式サイト
備考

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勝央町には「植月の角土俵」の他にも見どころが沢山あります。是非足を運んでみてくださいね。

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