宇喜多秀家公と豪姫の像|岡山城築城400年の節目にゆかりの地に建立された石碑と像【東京都八丈島】

宇喜多秀家公と豪姫の像 城・史跡・遺跡
宇喜多秀家公と豪姫の像
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岡山県から遠く離れた東京都八丈島にある「宇喜多秀家公と豪姫の像(うきたひでいえこうとごうひめのぞう)」は、宇喜多秀家公が築いた岡山城の築城400年の節目の年(平成9年)に、離れ離れになってしまった宇喜多秀家公と豪姫を思って建立されたものです。

宇喜多秀家公と豪姫の像は、八丈島屈指の景勝地である「南原千畳敷」のふもとで、岡山城のある方角に並んで座しています。

宇喜多秀家公と豪姫の像の後ろ姿

なぜ岡山県から離れた八丈島に建てられたかというと、豊臣五大老の一人であった西軍の大将、岡山城主宇喜多秀家が関ヶ原の戦いに敗北し、1606年に八丈島に流罪の身となり送られた地であったからです。

八丈島は、江戸時代を通じて1800人以上の流刑者が送られましたが、その最初が秀家一行(秀家の二人の息子など13人)でした。

宇喜多秀家公と豪姫の像の正面

島流しの際、最愛の妻豪姫を伴うことは許されず、1655年(明暦元年)84歳で亡くなる50年間、2人は引き離されたままその生涯を終えました。

前田家から1869年(明治2年)に一族が赦免されるまで、1年おきに金子35両・白米70俵、衣類、薬品などの物資の仕送りが続けられたそうです。

宇喜多秀家公と豪姫の像の石碑

宇喜多秀家公と豪姫の像のおすすめポイント

  • 宇喜多秀家公と豪姫は仲良く、岡山城の方角を見つめています。
  • 溶岩でできた海岸に立つ石像で、美しい景色とのコントラストを楽しむことができます。
  • 景勝地の南原千畳敷のすぐ近くに立地しているためあわせて観光するのもおすすめです。

宇喜多秀家公と豪姫の像のレビュー・口コミ

八丈島では誰もが知っている像です。豪姫は、前田利家とまつの間に生まれた四人目の娘で、小さい頃、秀吉とねねに養子にされました。関ヶ原の合戦の6年後の1606年、秀家は息子たちと共に八丈島へ流刑となり、離れ離れに生涯を過ごしました。

何もない広々とした千畳敷と海から、旧領地の岡山県の方向を一緒に並んで眺める像です。近くには溶岩でできた椅子があり、そこに座って夕日を楽しむのも心地が良いです。

関ヶ原の戦いで敗北した西軍の大将、宇喜多秀家とその妻の豪姫が横にならんでいます。彼らはかつての領地であった岡山を向かい座っています。歴史を思い返すと、心が少し寂しくなりました。

宇喜多秀家公と豪姫の像の詳細情報

施設詳細情報
施設名 宇喜多秀家公と豪姫の像(うきたひでいえこうとごうひめのぞう)
所在地 東京都八丈島八丈町大賀郷
交通アクセス 飛行機:ANAの定期便が1日3往復(羽田空港~八丈島空港)片道約55分
舟:東海汽船の「橘丸」が1日1往復(東京・竹芝桟橋~八丈島・底土港または八重根港)片道約10時間20分
底土港から車で約13分
八重根港から徒歩2
5分、車で約4分
駐車場 8台あり
営業時間 常時利用可能
休業日 なし
利用料金 なし
問合せ先 04996-2-1377
公式サイト 岡山県公式サイト
備考

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